2009年12月 4日
海上の森の活動
周辺には古墳群もあり、古くから武田信玄の墓があるなどの伝説がある土地である。近代以降は、瀬戸焼の陶土や窯の燃料の採取のために活用された丘陵地・湿地であり、明治期には樹木がほとんどなくなってしまった。その後、その丘陵地に植林などを行い、戦後に森林を回復した。しかし、1988年に愛知万博構想が発表され、1990年に万博の候補地となり、万博前に、地域高規格道路(名古屋瀬戸道路)と、それに並行、接続する幹線道路を建設し、閉幕後に住宅地、学術研究機関を設置する構想も発表された。
それに対して、環境問題に関心のある市民は海上の森自然観察会、海上の森探鳥会などの自然とのふれあい活動を活発に開始した。そのなかで、東海地方にしか植生しないシデコブシをはじめとした貴重な動植物の減少や、絶滅危惧種のオオタカなどへの影響を心配して、万博は時代に逆行するものとして、大規模な反対運動が行われた。
1996年の万博開催立候補から2000年の開催最終登録にいたる数年間は、博覧会国際事務局 (BIE) や世界の主要な自然保護団体を巻き込んだ反対運動に発展。BIEも「自然を破壊する開発型の万博の開催は認めない」とした。2000年5月には自然保護団体を含んで愛知万博検討会議が開かれ、その結果、主会場を既存の公園である愛知青少年公園(現在の愛・地球博記念公園)へ変更し、海上の森の会場は小規模な「瀬戸会場」として自然自体を展示物とすることと、自然保護団体や市民団体が主催で実施する「市民参加企画」をコンセプトとすることに変更することになった。その結果、登録博としては参加国誘致開始期限(開催概ね5年前)ぎりぎりの2000年12月に開催承認を得た。
万博開催中は、市民参加型企画と自然体感プログラムの中心地として展開。日本の自然保護運動の中心地として認知されるようになった。博覧会閉幕後も自然体感企画や青少年向けの講座などを実施している。
あいち海上の森センター ムーアカデミー
万博の閉幕から1年となる2006年9月25日に瀬戸会場跡地の一部と旧瀬戸愛知県館(瀬戸市吉野町)が「あいち海上の森センター」として整備され、オープン。施設の愛称は「ムーアカデミー」といい、万博時にパビリオンに住み着いたムササビの名前にちなんだ名称である(一般公募で決定)。各種自然体験教室を展開。海上の森全体の管理施設と自然体感・学習施設の機能を担うことになった。オープンに前後して万博のプログラムであったインタープリター(自然案内人)による海上の森の見学ツアーを再開。さらに万博のパビリオン施設であった「里のビジターセンター」、「窯の歴史館(平安中期の窯跡を保存した)」、「まゆ玉広場(休憩所を兼ねた展示施設)」、「森のやぐら(高さ14メートルの展望台がある物見の丘)」の公開を再開した。
施設の周りの小河川にはビオトープがあり、ホタルの育成などを行っている。また、2007年7月10日に旧万博会場としては初めて、EXPOエコマネーセンターが、同施設内に開設された。
名誉センター長は、愛知万博広報プロデューサーのマリ・クリスティーヌが務めている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
2005年日本国際博覧会では大変注目を浴びたようです。
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